Sunday, November 19, 2006

M.フリードマン死去


シカゴ郊外の大学で学んでいた頃、サマースクールで取ったEconomicsの先生がM.フリードマンの教え子で、"Freedom of Choice"が教科書だった。

何かあれば「ミルトンが。。」というのが口癖で、女子学生に端から声をかけては相手にされず、それでもめげずに「はい次」という感じでナンパに精出す先生だった。

マルクスの共産党宣言を読んでレポートを書けと言われて、クラスでただ1人、「A」を取った。「このクラスで英語が理解できるのが日本人だけとは。。」というのが先生のクラスへのコメント。そういう私は自分のレポートが異常なほど(と思えた)評価される理由がよく理解できなかった。

「彼女はこのレポートを書いたことでA決定。試験の成績がどうでもA決定」という凄い絶賛ぶりで、本当にAをくれた。(試験の成績はまあまあだった)

マルクスの理論がいかに破綻しているかを証明するがための課題だったのだけど、父兄から「何てけしからん書物を読ませるのだ!」と苦情が殺到したそうで、先生が「本当にこの国ときたら、あんたらの親ときたら!」とクラスの前であきれかえっていたのが印象的だった。

先生の名前はJ.Martinで、私の「マーティン」の発音がまったくアメリカ人に通じなくて、皆口裏合わせて分からない振りをしているのかと思うほどだった。

大学を卒業して日本で外資系企業に就職して、ちょっと「ムズカシイ」クライアントとひょんなことからM.フリードマンやマネタリストの話で盛り上がり、それから仲が良くなって、どうすればあの「ムズカシイ」人と話がはずむのだ?と同僚に不思議がられた。

合掌。

No comments: