Tuesday, April 08, 2008

まだまだ続く


仕事ばかりしていると仕事以外で言葉を綴るのがとても面倒になる。

人のブログや日記にコメント付けようかと思っても文章が作れない。

修行中や駆け出しの頃は、英語に引きずられない、日本語で読んで意味の分かる文章にする、っていうのをいつも念頭に置いていたのだけど、この間、同業者と、翻訳調になっても、若干日本語の言い回しとしては不自然になっても、英語を立てないといけない事があるのではないか、という話をした。

自然な日本語にするために犠牲になっていることがあるのではないか、ってこと。

異なる言語をすべて『自然な日本語』にすることは不可能ではないのか。

そうすることで若干でもニュアンスや空気が変わってしまうのではないのか。

2 comments:

Anonymous said...

あたしなんぞ、言語を選ばず、言葉が怪しい。まとまったのを書かないし話さないし。

読み間違い、聞き間違いが多いし。これは、自分でウケて大笑いできるけど。

翻訳調でいいと思う。正確さと読みやすさ優先、そっちに専心。ものによるのだろうけど。

mikko aka Jennyanydots  said...

かっこさん

パソコンならまだましだけど、手書きの文章になると、途中で何が言いたかったのやら、訳が分からなくなります。

あと、自分で文章書くときって起承転結がつけられないのよ。

読みまつがいは枚挙にいとまがありません。あと、覚え間違いというか、間違った思いこみ(最近、また1つ発覚)。

そう、ものによるのだろうし、伝わらなければ意味ないし。

英語に近づきすぎると見える物も見えなくなるのだけど、あえてちょっと近寄ってみようかと思うこのごろ。

変に手慣れて流して訳すようになっている気がするのよね。